「10年で変わったこと・変わらなかったこと」

 

最初の記事がこんな話題なのもどうかとは思うが、とりあえず手始めに決められたお題について綴ろうと思う。

まず、10年で変わったことについて。

確実に変わったのは環境だ。僕は去年の末頃まで北海道に住んでいたが、精神的に不安定だったことやとある出会いもあり、高校卒業後に就いた仕事をやめ神奈川に引っ越したのである。

北海道生まれ北海道育ちなので、家族や友達、あらゆる人間関係を置いてきてしまった。ただでさえ交友関係が狭かったので、余計に孤独になってしまった。後悔はしていないが、たまに恋しくはなってしまう。秋の風のせいなのか、最近特に恋しさが強くなってきた。故郷の夢を見ることも多くなった。だからといってすぐには帰ることができない。

何故なら僕は、無職(ニート)であった。ただの穀潰しで、帰郷の金などどこにもなかった。こんなブログなんてやってないで働けと言われたら何も言い返せない。何故なら僕は、甘えに甘えきった、たるみにたるみきった無職(ニート)であるからなのだ。

気を取り直して、次は10年で変わらなかったことについてだ。恐らくこっちの方が長くなると思う。心当たりがありすぎる。

10年前というと11歳。学年で言うと小学五年生だが、当時から今の今まで変わっていないことといえば『サボり癖』だろう。というかむしろもっと前から変わっていない。

小学校の頃は、登校時に公園に寄り道したり、近所のお母さん達と幼稚園のバスの見送りをしていた。登校してからはすぐにトイレに籠ってはひたすら自由帳に絵を描きなぐっていたり、登校した足で保健室にそのまま行き、体調不良のフリをしてずる休みをしていた。中休みになってから、教室を出ていく子達に紛れるように教室に入った。悪気は一切無かったが、今こうやって文章にして冷静に思い返すと、ようそんなこと平気でしたな、という感じである。

ちなみに、3〜4年生の頃辺りで習い事も始めたがそれもかなりの頻度でサボっていた。中学校に上がった後、先生が病気で亡くなってから少しだけ後悔した。面倒なことは苦手だったし逃げてしまったけど、習い事の先生は優しくて大好きだった。「にゐとは将来きっと立派になる!」ってよく褒めてくれた。褒められるのが嬉しくて、出席する時はほぼ必ず先生のど真ん前に座っていた。先生、時々サボってしまって本当にごめんね。今でも歌うことが大好きだよ。ありがとう。

少し脱線してしまった。話を戻そう。

小学校を卒業するタイミングで僕は一度引越しをし、同じ小学校の子が居ない状態で中学校に上がったのだが、これが結構辛かった。友達は一から作り直しな上に、もう他のクラスメイト達は元いた小学校の子達とグループを作ってしまっていた。小学校高学年辺りから変わり者だった僕は馴染める訳もなく、最初の段階で友達を作るのに失敗した。僕は、初めて完全に孤立したのである。音楽の授業で小学校の校歌を歌わされた時なんて特に地獄だった。もちろん同じ小学校の子なんて居ないので完全なるソロ歌唱である。教室の真ん中で一人アカペラで歌った。周りからヒソヒソと話す声とクスクスと笑う声が聞こえた。大声を上げて泣きたい気分だった。そんな中学校に行きたいと思えるか。思えるわけがなかったのである。結局僕は、塞ぎ込むようになってしまった。後に今でも関わりを持つような友人は1人だけ出来たのだがそれはまた別の機会に話そうと思う。

高校生になると、受験勉強の反動で一切勉強をしなくなった。中学3年生になってから1年間、ゲームを一切封じて勉強していたため、爆発するようにゲームに没頭した。ここでスマートフォンを初めて持つようになり、アプリゲームに触れ、どんどん沼に落ちていくようになった。授業中でも構わず音楽を聴き、動画を見たり、ゲームをするようになった。トイレに籠り授業をサボるようにしてゲームをしていたこともあった。成績はもちろんガタ落ちだったし、出席日数は常にギリギリだった。3年の夏が1番酷かった。朝はパン屋に行って2時間目が終わる頃に登校し、そこからトイレに籠ってサボり、昼になると昼ごはんを食べるために現れ、その後もトイレに籠りサボる。全て終わるとそのまま部活へも行かずに一瓶の咳止め薬を酒で流し込むように一気飲みし、フラフラのまま循環バスに乗車して、音楽を聴きながら5周ほどそのまま乗っていた。今こうして思い返してみると、よく卒業出来たなと思う。半ば追い出されたみたいなものだとは思うけれど。

高校を卒業し、仕事が始まった。がしかし、高卒の若い社員が僕だけで、他はお年を召した女性だらけだった。丁寧に言ったが要するに、仲間意識だけは中学校みたいなクソババアがわんさかいたのである。僕は直ぐに迫害された。ノルマ以外の仕事を押し付けられ手伝わされた挙句、終わらなかったら僕のせいだった。引き継ぎもきちんとしてくれないため仕事がわからず、元の人に聞くと嫌そうな顔をされ、そのことを相談すると上司は「皆忙しいんだから自分で考えなさい」と言った。そんな状態で上手くいくはずもなく、ストレスで胃がやられ、常に頭痛と腹痛に苛まれた。いよいよ危ないと思い、ちょくちょく休むようになった。そのせいか余計に目の敵にされるようになった。「にゐとさんが休んだから終わらない」「にゐとさんのせいで○○の場所がわからない」「にゐとさんが居ると仕事が進まない」と、矛盾だらけの文句を吐きつけられた。僕は休む前に次の日の分を進めておいていたし、物の場所は自分もわからなくなるので動かしておらず、僕のせいで仕事が進まないと言うのなら手伝いを僕に任せなければ良いだけの話だった。

毎日そんなことを浴びせられていたある日、一か月以上前にとっていた有給休暇に関して「昨日体調不良で休んだんだから今週末の有給休暇取り消したら?」と言われた。数ヶ月に1回稀にくる、起き上がれないくらいの生理痛で休んでしまった。それだけでずっと前からとっていた有給休暇にケチをつけられてしまったのである。その有給休暇は神奈川への旅行用だったため、飛行機もとってしまっていた。流石に、限界だった。もうこんな汚物にまみれた鬱屈とした所に居られないと思った。今までサボり癖まみれだったが、こればっかりはサボることではどうにもならない事だった。初めて全力で逃げた。

そこからは凄く淡々と物事が進んでいった。すぐに辞める旨を伝えたし、親も何とか説得して神奈川にそのまま移り住む事が決まった。辞める直前におじさん上司に個室に呼ばれて言われた「急に辞めるなんて、急に別れを告げられた彼氏の気持ちだよ…」という言葉が最高に気持ち悪すぎた。本当に辞めて正解だったと思う。

神奈川に移り住んでからというもの、ほとんど外には出ていない。前は田舎すぎて出前なんて無かったが、ここはたくさんの店がある。最初はスーパーに行ったりして自炊もちょくちょくしていたのに、いつの間にか料理もサボるようになった。部屋はクーラーが効いてて涼しいし、PS4もSwitchもあるのでなんでも出来てしまう。同居人もテレワークでずっと家にいるので、仕事帰りの同居人を迎えに行くついでにどこかへ行く、なんてことも出来ない。外に出る理由が殆ど無い。友達も最初の方で話した通り故郷に置いてきてしまっているため、遊びに行くことも無い。結局家でぐうたらするだけの人間が出来上がってしまった。

本当に昔からサボり癖が直らない。正直こんなに昔から長く直らないとなると、何らかの病気な気がしてきている。サボり癖以外にも時に不安になりすぎたり、人を疑いすぎたりする面もある。自傷癖も昔からあるし、物忘れも昔から激しいし、部屋は昔から片付けられない。すぐ怒るしすぐ泣くし情緒がとても不安定である。正直ここまで来たらむしろ病気であってほしい。近々心療内科等にも行くつもりだ。まあ、サボり癖のせいでいつになるかは分からないが。(※ちなみにこの記事の時点で病院に行こうとして既に早半年以上経過している。)

脱線してしまったりして少し長くなりすぎた気もするが、ブログ初心者なので大目に見てほしい。ここまで読んでくれてありがとう。(にゐとさん)